コロナ以降のライブのお作法として、すっかり慣れてしまった掛け声なしのアンコールの手拍子。
まだかまだかと思いながら手拍子に追従したり休んだりしてその時間をすごしている。結局は水を飲み座席で一段落する。
毎度毎度思うのは、一度も途絶えることもなく大きな手拍子を続けている人の体力と気力はどうなっているのかということ。尊敬の念すら覚える。
昼の1部ではたしかKiRaReのDon't think,スマイル!!だったなと思いながら、夜の部もKiRaReだろうかとか、そうだとして何が披露されるのだろうかとか、まあどのユニットのどの曲が来たところで楽しいんだけれどとぐるぐると巡る思考。
昼の1部を経て夜の2部もあとはアンコールを残すのみであるこちらとしては、もう脚と腕がボロボロなんだから勘弁してくれよと思いつつも、ただ一方で簡単には終わらせてくれないだろうなと高まるその期待感。
アンコールはいつも時間間隔がよくわからなくなる。長いなと感じたり短いなと感じたり。
ふと正面スクリーンのロゴが消えて手拍子が拍手に変わる。さあラストスパートだと、めいめいの観客が椅子から腰を上げる。
次の瞬間、聞き慣れたあのイントロの音が耳に入ってくる。点灯する青い舞台照明。刹那の間を置いて発せられる歓喜とその意味を受け取ってか嘆きとも聞こえる観客席からの声。
体は反応していたかもしれない、ただあれだけ聞いていたアイノウ・アイノウのはずなのに、正直最初自分は何が起こったのか理解できていなかった。
なので必然的に声もでなかった。
ことに気が付いたのはステージ下手の上段からゆっくりと現れたあの衣装の嶺内さんが一人歩いてくるのが見えたときだった。
そこで全ての思考が目の前の事実に追いついて、アイノウ・アイノウが始まったことを知る。
ごくごく個人的な解釈の話ではあるが、アイノウ・アイノウについて、花守 ver. は「渇望」、嶺内 ver. は「悲願」という勝手なテーマをもって聞くことが多い。
それはいつだったか花守 ver. はどこか外向きの力が大きく表現されていて、嶺内 ver.では内向きの力が大きく表現されているように感じられた瞬間があったからだった。
3rdの花守 ver. を振り返るとその曲で歌われている思いを力強く歌い上げているのに対して、ワンマンそして今回の4thの嶺内 ver. ではその思いを内面へと押し込めて自分に言い聞かせているようなものがその姿から見られた。
伊津村陽花というキャラクターを表すときにどちらか一方を正解、他方を不正解とするようなものではないのは説明するまでもないが、着実に伊津村陽花というキャラクターが積み重ねられている証拠だろうと思っている。
この目の前で繰り広げられているアイノウ・アイノウはこれで最後なんだと思い、食い入るように一挙手一投足に目を向ける。
憂いを帯びた表情、斜め下に向ける顔の角度、伸ばした腕、直立する脚。
結局今、曲中のことなんてほとんど覚えていないのだけれど。
Dメロの終わりラスサビに入る直前に、伸ばした腕を力強く胸に引き寄せるところで自分も心になにか強い想いを受け取って、最後は静かに終わっていった。
始まる前にぼんやりとでも最後にどうにかしてアイノウ・アイノウを聞けないかと思っていた。
特殊な状況であるとはいえ同時に3年ぶりの全員集合のナンバリングライブである。 その一曲を採用する裏で他の曲が非採用となる無慈悲な選択をしなければならないのはいちファンとしても痛いほどわかる。
それでもあの日のあの夜にアイノウ・アイノウを聞けた経験には本当に感謝としか表現できない。