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人間新妻八恵と『アラビアンナイト』

アラビアンナイト

TV版ワールドダイスターの『アラビアンナイト』は八恵にとって転機となる演目だった。天真爛漫と完全無欠が同居する新妻八恵の根底に流れる自意識が所々で見え隠れするそんな第五場~第七場となっている。基本的にはアニメ版をベースにしているが、一部夢のステラリウム(ユメステ)の歌劇『アラビアンナイト』を参照している部分がある。

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まず八恵とアラビアンナイトを語る上で最も重要な点は柊さんとの関係が詳らかにされたことである。とある教会の聖歌隊に参加する八恵に柊さんが惚れ込んだこと。誘われた公演をみて八恵が演劇(柊さん)に強い興味をもったこと。おそらくその時から八恵にとって柊さんは演劇をやる上で代えがたい大きな存在になっていること。

少なくとも現段階での新妻八恵が演劇を続ける理由の大半は柊さんとの共演を達成することであるように描かれている。単純に演劇が好き・楽しいという雰囲気を全く感じられないわけではないが、ふと周りに漏らす(ワールド)ダイスターになりたいという目標はあくまでもその手段の一つでしかない。

本記事では『アラビアンナイト』に取り組む八恵を中心に、全体の話と象徴的な2つの場面「雨が降るポスター前」と「公演終了後の屋上」を見た時に考えたことを整理する。

八恵のアプローチの残酷さ

アラビアンナイトの稽古期間中の八恵は今考えるとやはりどこか焦っている。八恵がもつ自信と度胸の裏返しではあるものの、ここなに対する言葉の端々に舞台を自身でコントロールする気持ちが染み出してしまっている。

... ここなさんがやるべきアラジンはもう決まっています

... 大丈夫ですよ、何があっても必ず私がフォローします

そもそも、役作りのためにここなとの共同作業を持ちかける行為自体、こちらも意図的であるにせよないにせよ、魔神の引き立て役のアラジンを作り上げる手段としてあまりにも有効すぎる。初主演で経験が少ないここな相手であればなおさらである。ここでの八恵とここなの関係値は決して平等ではなくて、八恵の術中にここなが疑問ももたずにはまっていってしまっている状況である。ここなが八恵ちゃんを見つめる視線が日に日に強くなっていきその目が自身(ここな自身でもあり、ここなのセンスとしている静香でもある)を向いていないことに、静香は焦りを感じていたし、ぱんだは直接柊さんにそのことを伝えるなど、外から見るとその異様さが見て取れる。

役と演者のクロスオーバー

八恵自身は自分に求められているキャラクターが純粋無垢な少女であると自覚しており、同時に、求められているキャラクターを演じているだけではダイスターにはなれないという結論にも達している。そして、今回チャレンジとして取り組む魔神も似たようなジレンマを抱えている。八恵が求められるキャラクターを演じることは、魔神が主人の願い事を叶える己に課せられた使命を全うすることと似ている。

一方アラジンも第七場でここなと静香は柊さんに「色々なアラジンを演じると言っていたわね。それはこれまでの公演で他の役者が演じてきたアラジンのこと?全部わすれて。他の役者の真似事なんて無駄だから。」と言われてしまう。第五場でぱんだから渡された過去の台本も象徴的ではあるが、決してそこに固執しては先には進めなかった。代々のアラジンと同じことをするだけでは不幸になるとも考えられる部分にも妙なシンクロを感じた。

ユメステのアラビアンナイトでは、魔神は過去の主人は全員不幸になったと語っている。主人の願いを叶えることはもちろん主人の幸福につながる側面があるのだが、それのみを繰り返した結果過去の主人はみな不幸になったことを魔神は知っている。ここなが望み、八恵がそれを叶えるだけという構図はこの不幸なループの繰り返しにほかならない。

結局のところ真のゴールはアラジンだけではなく魔神もハッピーになるのが『アラビアンナイト』の到達点だと解釈すると、アラジンはもちろん魔神の力がきっかけで幸せになっていくし、魔神もその願いを成就するにはアラジンが必要であるため、お互いに蔑ろにすることはそのゴールから遠ざかるということなのである。なのでこの側面からも魔神八恵のスタンドプレイは避けるべき行動であることがわかる。

雨がふるポスター前:八恵の違和感

第五場の後半、出来上がったポスターの掲示を見るここなと八恵。初主演舞台への不安を吐露するここなに向かって「ご主人さまはただ願い事を言えばいいのさ。そしたらあとは叶えるだけ。」と強気な魔神モードの八恵。

この公演が成功しますように。それから、八重ちゃんがダイスターになれますように

というここなの願い事に対して八重ちゃんの声で発せられた以下の言葉が妙に頭に残ってしまった。

それは......いい願い事だね

なぜ声は八恵モードなのに「いい願い事ですね」ではなかったのか。魔神モードではない素の八恵であればここは「だね」ではなく「ですね」が自然ではないか。この部分のアニメーションのシーンを振り返ると、2つ目の願いである「八恵ちゃんがダイスターになれますように」と言っているここなを、少しはっとした表情で見つめる八恵がいて、その言葉を聞いたのち、少し伏し目がちに「それは...」と反応し、正面を向いて「いい願い事だね」となる。

ただ純粋にここなを直視していつものトーンで「いい願い事ですね」と言えなかった理由がそこにあるとするならば、その前で語っているダイスターになること自体にはあまり興味がないこと(本当の願いは隠していること)であるとか、『アラビアンナイト』を通して八恵がやろうとしていることがとても残酷なことであることを自覚していながら、その一番の被害者となってしまうここなが自分のことを応援してくれたことに、いたたまれなくなってしまったからかもしれない。

シリウス版のストーリーにおいて魔神の願いは「主人が幸せになること」である。魔神モードで問いかけたその答えとしてアラジン(ここな)から返されたものは、(この時点では)主役であるここなを引き立て役として使う「ここなは幸せにはなれない」結末に繋がる願いであった。そんな複雑な心情を抱えながら発したその言葉は、八恵として戸惑いの声として最初に発せられたものの、最後はあくまでも舞台の成功を貫き通すために魔神モードの「だね」に持っていた、そんな心の移り変わりがあったのではないか(かなり妄想入ってます)。

公演終了後の屋上

公演終了後にシリウスの屋上で柊さんと八恵が対峙する。自分が舞台を壊していたことに気が付き反省する八恵に、一人ではワールドダイスターにはなれないと自身の経験を語る柊さん。その言葉を聞いて、八恵は今まで表に出してこなかった自分の本当の願いを本人に直接伝えようとする。

(八恵)だから、またいつか私と一緒に... (柊)それは......

八恵の願いが完全になる前に屋上にここながやってくる。普通とは違う空気を感じ取って狼狽するここなであるが、柊さんはもう終わったからとここなとの会話を進める。

(飛躍パート)シリウスアラビアンナイトでは第四話に以下のセリフがある。

願ったら最後。おいらは永久にランプの中に閉じ込められちゃうんだ。

もしこの時八恵が自身の想いを願ってしまっていたら、もしかしたらシリウスと八恵は違う結末に向けて進んでいたのかもしれない。演劇では物語の終わりにアブドラの願いを無視したために魔神はランプに閉じ込められてしまう。結果としてアラジンの幸せに生きることになるので「主人の幸せ」を願う魔神の願いは成就した。

ただ、八恵そしてシリウスの物語はここで終わるわけではない。

ここなさん、助けてくれてありがとうございました

普通に考えると、舞台を壊してしまうという八恵の行動から救ってくれたことへの感謝の言葉であろうが、同時に八恵の物語をここで終わらせないタイミングで現れたことに対する感謝の気持ちとしても読み取れる部分がある。八恵とここなを見ると、Tシャツに着替えながらも下半身にはまだ魔神とアラジンの衣装を着ているのがわかる。こんな妄想はいかがでしょうか。

おわりに

おそらく新妻八恵はこれからも間違い続けていくはずだし、天使な笑顔を振りまきながらえげつない稽古を仕掛けてくるはずである。

ワールドダイスターにはきっと一人じゃなれないものなのよ

八恵は『アラビアンナイト』に取り組む際に、願いを叶える魔神を演じながらもその実、自身の願いを叶えたいという困難な道を突き進もうとしていた。柊さんはそんなことまで見透かしてこの言葉を八恵の前で発したのかもしれない。屋上のシーンでは最後に『アラビアンナイト』を経た上でアラジン役のここなと改めて向き合い、名前を呼び手を取り合った。今までは孤独に突き進んでいた劇団シリウスの新妻八恵であるが平等な関係性を見いだしたパートナーを得て更に前に進んでいって欲しい。

八恵ちゃんかわいい。